パルシファル   − 聖杯の探求 −   縮小再話版



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  第9章  トレフリツェント

     第九章 トレフリツェント


 一面白銀の雪景色で、見えるものと言えば、立ち並ぶ真っ白な樹木と、真っ白な平原だけだった。どちらを向いても道らしい道はなく、前進するには、ただ、あてずっぽうに木々の間を通って行くしかなかった。行く当てのないパルシファルにとっては、それはさほど問題ではなかった。むしろ、この時の心境には、素直に受け入れられる風景だった。
 パルシファルは木々の間を、馬に乗って歩を進ませながら、自分はまるで空っぽの貝殻であるかのように感じていた。
 アーサー王のもとで円卓の騎士になり、最大の望みがかなった時、円卓にすわるという栄光を味わうことができたのは、ほんのわずかの間だった。クンドリーエの登場によって、その栄光は一瞬にして消えうせ、パルシファルの心の中は空っぽになってしまった。
 自分は再び円卓の騎士になることができるのだろうか。それは、いつになるのだろうか。そう思うと、不安と不満と無力感が、パルシファルの心を支配し、何を目標に生きていけばいいのか、わからなくなった。
 聖杯の探究が成就するまでは、妻のもとにも、円卓の騎士にも戻らないと誓っていたが、聖杯城を見つけることが、どういう意味を持つのか、それによって何が得られるのか、パルシファルには、わからなかった。聖杯を見つけるためには何をすればよいのか、それもまるでわからなかった。
 そんなパルシファルの内面の葛藤とは裏腹に、彼の旅は栄光に満ちていた。ベーアーロシェ城での大活躍しかり。彼の人生は、表面的には、誰もがうらやむ成功した人生のように見えた。出会う者が騎士であろうと盗賊であろうと、事あるごとに、敵を倒し、敵を震えあがらせた。相手が強かろうと弱かろうと、まったくお構いなしに打ちのめし、まるでうっぷんをはらすかのように剣を振るい、戦うたびに勝利をおさめた。パルシファルの武勇は賞賛され、騎士の栄誉は次々と積まれていった。
 しかし、そんな祝福された人生を歩みながらも、パルシファルの内面には、不満と怒りと焦燥感がたまっていた。どんなに勝利を重ねようとも、満足することはなく、言動は荒々しくなり、善悪の見さかいがなくなっていた。

 道がわからなくなってしまったパルシファルは、庵が見えたので、道を聞こうと思い、庵の窓に近づいた。庵の下には泉がいきおいよく流れていた。この庵は小川の水の流れの上にまたがって建てられていた。
 「こんにちは、どなたかいらっしゃいますか。」
 「はい。」
 庵の中から女性の声が聞こえると、パルシファルは、あわてて窓から離れて引きさがった。剣をもって馬に乗ったまま女性に近づくことは、礼儀に反する振る舞いとされていた。パルシファルは、馬から下りて剣を腰からはずし、あらためて、庵の窓に近づいた。
 庵の中にいた女性は青白い顔をして、ひざまずいてお祈りをしていた。巡礼者が着る灰色の服を着て、その下には懺悔の際に身につける目の粗い肌着を着ていた。その女性は悲しみに打ちひしがれた様子で、手にはお祈りのための詩篇をもち、窓辺に近づいてきた。
 「壁際に、いすがありますので、どうぞ腰かけてください。」
 パルシファルは女性の悲しげな声が気になって聞いてみた。
 「こんなに寂しいところに住んでいらっしゃるのは、どうしてなのですか。この辺には人家がまったくありません。食事はどうされているのですか。」
 「私の食事は聖杯のもとから届けられています。魔女クンドリーエが毎週土曜日に、一週間分の食事を運んでくれるのです。彼女が自分で決めて、そうしてくださっています。」
 パルシファルは聖杯という言葉とクンドリーエの名前を聞いて狼狽した。なぜ、この女性がそのことを知っているのかと思い、あまりに唐突な言葉との遭遇により、意識が混乱した。自分が今、最も苦しんでいる問題の種となっている言葉が出てきたので、素直に反応することができなかった。まるで痛いところを針でつつかれたように感じ、そこには触れられたくないと思った。どうにか取り繕うとしていると、女性の手にザクロ石の指輪が見えた。パルシファルは、気持ちをごまかすのに都合のいい材料が見つかったので、すかさず口を開いた。
 「指輪は誰のためにしているのですか。」
 「この指輪は、愛する方のためにしているのです。その方はシーアナートランダーと言って、生前、私を心から愛してくださり、私のために戦ってくださいました。それなのに、私から愛の喜びを受け取る前に亡くなってしまいました。オリルスの槍に突かれて命を落としたのです。今はその棺の中に眠っています。私はこの方のために操を守りつづけ、この方を愛しつづけます。」
 この言葉によって、パルシファルはこの女性がジグーネだということに気づいた。パルシファルは突然、胸が苦しくなり、言葉を発することができなかった。挨拶をするかわりに兜をはずしてずきんを取った。それでジグーネもそこにいるのが誰なのかがわかった。
 「あなたは、パルシファルでしたのね。聖杯は見つかりましたか。その後、どうなさいましたか。」
 「私はすっかり喜びを失って苦しんでいる。聖杯が私を苦しめている。どうしたら聖杯を見ることができるだろうか。探しているが、まだ見つからない。そして、今は最愛の妻が恋しい。彼女の清純な心がなつかしく思えて、さらにつらい思いをしている。」
 「苦しんでいるアンフォルタス王があなたを待っていたのに、あなたは問いかけをしませんでしたね。当然の報いです。」
 「その通りだ。私は自ら不幸をまねく愚かなことをしたのだ。いとこのジグーネよ。助けてくれ。お前の悲しみもわかってあげたいが、いまは自分の苦しみが大きすぎて、それで精一杯なのだ。」
 「神があなたをお守りになりますように。
 魔女のクンドリーエが帰っていったばかりです。馬の蹄のあとを追っていけば、ムンサルヴェーシュの城にたどり着くかもしれません。」

   パルシファルはジグーネに別れを告げて、すぐに新しい蹄のあとを追っていったが、道のない場所に来て、蹄のあとは、とだえてしまった。

 それから何週間も旅を続けたあと、パルシファルは一人の老人に出会った。名はカヘニースといった。妻と二人の娘を連れて巡礼の旅をしていた。四人とも灰色の服を着て、はだしで雪の道を歩いていた。パルシファルは向こうから歩いてくる四人が通れるように、手綱を引いて道をあけた。その時、通り過ぎる老紳士があまりにも立派に見えたので、きっと騎士に違いないと思い、思わず声をかけた。
 「こんにちは。どうして四人そろって、はだしで歩いていらっしゃるのですか。」
 老紳士は答えた。
 「あなたこそ、どうしてこの日に甲冑をつけているのか。どうして聖なる金曜日に、はだしで歩かないのですか。」
 「私は今日が何日なのか、暦を知りません。」
 「今日が何の日か、お知りではないのですか。」
 「知りません。」
 「そうですか。それでは少しお話しましょう。今日は聖金曜日と言って、偉大なる聖者が十字架にかけられて受難し、亡くなった日です。聖者は、正義を広く行ったがために、そのすばらしい行いを嫉妬する人々によって、無実の罪で処刑されたのです。しかし、その時、聖者は一言も恨み言や不満をもらさず、処刑した人々にさえも哀れみの心を示されました。これ以上に誠実な愛がありましょうか。その時、人類に初めて正義と愛の精神が貫かれたのです。その日以来、われわれにも、その精神が少ないながらも受け継がれています。だから世界中の人々は、この日を偉大な精神の誕生の日として祝い、喜び、また聖者の受難を悲しむのです。その日をしのび、記念して、はだしで巡礼の旅に出るのがならわしです。だから、あなたが異教徒でないなら、今日は甲冑をつけているのは間違っていますよ。」
 「ありがとうございます。それは知りませんでした。」
 「この先の庵に一人の隠者が住んでいる。その方に頼めば、もっとたくさんのことを教えてくださるから、そこへ行くとよかろう。」
 これを聞いた老紳士の娘が言った。
 「父上、なぜ、そんな意地悪をおっしゃるのですか。こんなに天気が悪く、騎士殿の体は冷えきっていると思います。どこか暖かいところへご案内してさしあげないのですか。」
 「あぁ、そうか、まったくその通りだ。騎士殿、この近くに私のテントがある。そこへ来て、暖をとりながら、私どもと一緒に食事をしてくださらぬか。」
 パルシファルは、はだしで歩いている人と、甲冑をつけて馬上にいる自分との隔たりを感じ、素直に誘いに応じる気にはなれなかった。
 「せっかくのご親切とお誘いを受けたいところですが、私はお別れすることにいたします。」
 パルシファルの言葉にとまどいを感じた老紳士は、すぐに言葉を返した。
 「なぜだ。何があなたを引きとめているのだ。」
 パルシファルは正直に答えることにした。
 「あなた方が信じている神を、私は恨んでいるからです。神を信じても、神の加護を受けられないのです。それに、甲冑をつけている私が、清廉なあなた方と一緒に歩くわけにはいきません。」
 「そうか。それなら、少し話しを聞いてほしい。
 数え切れないほどの年月の昔には、宇宙には何もなかったのだ。人間も動物もいなかったときのことだ。植物もないし、大地そのものもなかった。あったのは、目に見えない神と天使という精神存在だけだった。いま私たちが目にしているこの世界の全てを創り出したのは神と天使なのだ。最初にあったのは、世界創造の意志だけだ。意志の力がやがて熱となり気体となり、徐々に固体に凝縮し、永い遠大な年月をかけて、生命を産みだし、進化させ、今に至っているのだ。ある意味で、神は全てを知っているのだ。それに比べて、我々人間は何も知らない。だから、人間は自らの力で学び、成長しなければならない。しかし、学びの届かない膨大な領域については、神の意志に委ねなければならない。神と天使が創った自然界は、私たち人間個人の都合のいいようにできているわけではない。そこには偉大な摂理があるはずなのだ。自然界の摂理を学び、あの聖者のように自らを成長させて生きていくのがよろしい。あの方は人間の理想像であり、お手本なのです。」

 パルシファルは話された内容に驚いた。神がそんなに偉大なものであるとは、思いもしなかった。神についての考えを変えなければならないのだろうか。すぐに考えを変えることはできないが、その隠者に会って、教えを請わねばならないと思った。
 パルシファルは、老紳士カヘニースに感謝の言葉を述べて、四人の巡礼者に別れを告げた。

 パルシファルは森へ向かって行った。森の中に隠者トレフリツェントの小屋があった。隠者は人生から身を引き、森の孤独の中で、祈りと瞑想に自身をささげていた。
 「ごめんください。」 パルシファルは戸口に出てきたトレフリツェントに話しかけた。
「こちらに来れば、いろいろなことを教えていただけると聞いてまいりました。どうか私にご教授くださいますようお願いいたします。」
トレフリツェントは言った。
 「そなたに助言することは、やぶさかではないが、誰がここを教えたのだ。」
 「白髪の立派な老紳士です。ご家族と四人でいらっしゃいました。」
 「おそらくカヘニースだろう。そう。確かにあの人は立派な方だ。
 さて、ここでは寒かろう。庵の中に入りたまえ。」
 二人は庵の中に入り、パルシファルは甲冑をぬぎ、トレフリツェントが差し出した服を着た。トレフリツェントは庵の中を案内した。庵の中にはたくさんの書物があったが、その上に聖櫃が置かれていた。パルシファルは聖櫃に気がついて言った。
 「私はこの聖櫃を見たことがあります。この聖櫃の上に手をおいて誓いの言葉を述べたのです。」
 「すると、ここへ来たのは、初めてではないのかね。」
 「はい。二度目です。」
 トレフリツェントは何かしらの縁を感じて、話を聞いてみようと思った。
 「ところで、そなたはどのような悩みをお持ちなのだ。」
 「ある時以来、私は神を信じていません。神に対して怒り、神を恨んでいます。神は私を不幸のどん底におとしいれ、私を助けようとはしない。万能の神は私を助けようと思えば、助けることができるはずなのに、助けてはくれないのです。」
 トレフリツェントは深いため息をついて言った。
 「騎士殿。世界はそなたの都合のいいように動くわけではない。神もそなたの思いのままに願いをかなえてくれるわけではない。それでも、神は信じなければならない。神はわれわれの理解を超えた自然界の摂理そのものなのだ。われわれが神を信じようと信じまいと、われわれは、その摂理の中で生きている。神は誠実であり、世界に調和をもたらす真理なのだ。

 ある書物の中にある短い寓話を紹介するから、聞きなさい。
 人類の最初の人間アダムの息子に、カインとアベルという兄弟がいた。カインは主に農業をおこない、アベルは牧畜をおこなっていた。ある日、二人は神に供え物をした。カインは野菜を供え、アベルは肉を供えた。ところが、神はアベルの肉だけを取り、カインの野菜には触れなかった。これに嫉妬したカインは、野原でアベルを殺してしまった。
 さて、なぜ、カインはアベルを殺してしまったのだろうか。そなたはどう思うか。」

 パルシファルはしばらく考えてから答えた。
 「弟のアベルだけが供え物を受けとってもらえたからです。」
 「なるほど、それでカインはどう思ったのだ。」
 「カインは、『アベルはずるい』と思ったんです。」
 「なぜ。」
 「アベルだけがおいしいものを作れる良い子で、神からかわいがられ、カインは神からかわいがられないだめな子だからです。」

 「なるほど、アベルが良い子で、カインはだめな子というわけだ。
 確かに、そう見えるかもしれないが、それで、アベルが何か悪いことをしたっていうことになりますか。」
 「なりません。アベルは何も悪いことをしていません。」
 「アベルは何も悪いことをしていないのに、カインはアベルを殺した。それは、間違っていませんか。」
 「間違っています。」
 「そう、ここには、誤解か倒錯がある。問題を引き起こしたのは、片方の供え物しか取らなかった神なのだから、カインに不満があるなら、神に文句を言えばいい。不満を訴えるべき相手は神であり、アベルではないはずだ。」
 「はい。そう思います。」

 「それでは、最初の質問に戻るが、何も悪くないアベルをどうして殺したのだろう。」
 「アベルが何かひどいことを言ったのかもしれません。あるいは、カインを見下すような無礼な態度をとったのかもしれません。そうだ、きっとアベルは勝ち誇ったのだと思います。神に気にいられたのは自分の方だと。」
 「そうかもしれないが、それは書物に書かれていないので、断定はできない。いくつかの可能性を想定してみよう。
 まず、そなたが言ったように、アベルは、カインを見下し、勝ち誇った態度をとったのかもしれない。
 別な可能性として、アベルは平然として何も言わず、何の表情も出さなかったかもしれない。
 あるいは、カインをねぎらう優しい言葉をかけたのかもしれない。
 アベルが以上のいずれの態度をとったのかは、わからない。だが、いずれにしても、カインは何か次のように思ったということは言えるだろう。
 例えば、
 『見下されて馬鹿にされた』
 『侮辱された』
 『自分は駄目な人間だと思われた』
 まあ、だいたいそのようなことを思ったのだろう。
 しかし、それはカインがそう思いこんでいるだけなのだ。現実は違う。そんなことは誰も言っていないし、そんな事実はどこにもありはしない。
 起きたことは、ただ、アベルの供え物が、目の前から消えたということだけだ。」
 パルシファルに言葉はなかった。
 「 … 」

 トレフリツェントは新たな質問をした。
 「それでは、神はなぜ、アベルの供え物だけをとったのだろうか。」
 「 … わかりません … 」
 「そう。わからないことは、わからないこととして保留しておくのが、一番いい。」
 「神に聞いてみたらどうでしょうか。なぜ片方だけしかとらなかったのか、と。」
 「神に問うて、神が答えてくれればいいのだが、神が答えてくれるかどうかは、わからない。むしろ大切なことは、神を悪く思わないことだ。
 事実はわからないのだから、どうせわからないのだったら、良い考えを持つ方がよほどいい。
 例えば、
 『神は、「もう少し上手に作りなさい」という激励の意図で、カインの供え物をとらなかった』とか
 『神は忙しくて、どちらか一つしかとれなかった』とか
 『神はおいしいものは、後で食べようと思って、楽しみにして、そのままにしておいた。』といったようなことだ。
 自分が最もよいと思うように考えておけば、神に問う必要はない。それが現実をたくましく生きるすべなのだ。
 だから、神を信じ、神に問うてはならないのだ。
 神に問うて、真実を知ったとしても、それが生きる力になるとは限らないからだ。」

 パルシファルは、この考え方を受け入れられずに反発した。
 「そんなことを言ったって、侮辱されたら、仕返しをせずにはいられない。」
 トレフリツェントは答えた。
 「どのように生きるかは、そなた次第だ。
 私はもうこれ以上言うことはできない。そなたが自分自身の魂の奥深いところから、本物を見出さねばならない。よく自分を見つめ、経験を積むことだ。」

 パルシファルはトレフリツェントの話を聞き、自分の本心を吐露しはじめた。
 「私はこれまで、神を信じ、神に対して誠実を尽くしてきましたが、その報いとして、苦難を背負わされています。」
 「さしつかえなければ、どんな苦難を背負っているのか、聞かせてもらえますか。」
 「二つの苦難を抱えています。一つは妻のことです。愛する妻に会うことができず、妻に対する愛が私を苦しめています。」
 「それは、すばらしいことだ。妻に対する愛は当然のことであり、そなたはやがて大きな愛で、妻を愛することになるだろう。
 愛には三つの形があることを知っておくがいい。
 それは、愛と恋心と性だ。最初に人間の魂が出会うものは、恋心だ。男性が女性に、女性が男性に恋焦がれるあの甘ずっぱい衝動だ。これは愛と性への入口だ。だから恋心は重要なのだ。恋が実るか実らないかにかかわらず、恋心をいだくことは重要なことだ。強い恋心をいだけば、大きな愛に育てることができるからだ。そなたの苦悩は、恋心だ。それはやがて大きく成就する可能性を秘めている。

 愛とは、親の愛であり、神の愛であり、友情としてもあらわれるものだ。相手を理解し、相手を思いやり、相手に肯定的なメッセージを送ることだ。恋心を暖かく育て、正しく導けば、立派な愛が育つのだ。
 性は生殖を含む肉体的な喜びだ。神によって仕組まれた生命進化の道具だ。性がなければ、子孫は繁栄しないのだから、非常に重要なものだ。性から得られる満足は、子孫を残すことと同様に、人間に必須のものだ。ただし、性は、愛と恋心とともに扱わなければならない。性だけでは、動物と同じになってしまう。
 人間が性を扱う規則を自らに課さねばならない理由がそこにある。
 一人の人間の中に、愛と恋心と性が、共にあるということだ。この三つをバランスよく統合させていくことが、人間の成長につながるのだ。
 おわかりかな。」
 「話はよくわかりましたが…。妻コンドヴィーラームールスへの愛を、大切に育てたいと思いますが、苦しみは変わりません。つらくて、さびしいです。」
 「耐えるのだ。」
 「耐えられません。」
 「つらいとか、さびしいとかは、横において、妻と一緒にいないことに耐えるのだ。」
 「 … 。」

 トレフリツェントは話題を先へ進めた。
 「よろしい。もうひとつの苦悩は何ですか。」
 「私のもうひとつの苦悩は、聖杯のことです。実りのない聖杯の探究を何年も続けています。」
 「聖杯の探究…。そなたは聖杯を探しているのか。それは愚かなことだ。聖杯は自分からは見つけられないものだ。聖杯から呼ばれない限り、見つけられないものだ。私は聖杯を見て知っている。私はここで隠者になる以前、聖杯の騎士として、ムンサルヴェーシュ城にいたのだ。」
 「聖杯の騎士だったのですか。」パルシファルは驚いた。
 「そうだ。そなたが聖杯の探究をしているのなら、話してあげよう。」
 「お願いします。聖杯とは何なのか、教えてください。」
 「ムンサルヴェーシュ城には、多くの騎士が住んでいるが、彼らはある美しい石によって養われている。毎週、金曜日になると、白い鳩があらわれ、この石のまわりに集まり、これが石に力を与え、これによって騎士たちは、その聖なる石から好きな食べものや飲みものを受けとることができる。不思議なことだが、本当にそうなのだ。
 この美しく聖なる石は、聖杯と呼ばれている。聖杯を見た人はいやされ、それ以上のいやしを必要としなくなる。病気の人は聖杯を見ることによって治癒するのだ。どんな瀕死の病であっても、一週間は生きていることができる。
 聖杯とともにいれば、この世界をけがすことなく生きられ、天上の幸福を得られるとともに、地上的栄誉も得られるのだ。
 この世界で豊かに生きようと思えば、自分のことに一生懸命になり、利己主義に傾かざるをえず、やさしさや愛や慈悲の心に欠け、天上的幸せを失ってしまいかねない。
 天上的幸せを求めようと思えば、清く貧しい生活をすることになりがちだ。
 しかし、聖杯とともにいれば、その両方が手に入るのだ。天上的幸福と地上的栄誉、すなわち、精神的豊かさと物質的豊かさだ。」
 パルシファルは尋ねた。
 「聖杯を手に入れるためには、どうすればよいのでしょうか。」
 「それについては、確かなことは言えないが、次の話がヒントになるだろう。
 ある時、神と悪魔ルシファーが戦っていた。その時に、どちらの側にもつかず、中立の立場を取っていた天使たちがいた。この天使たちが、地上に使わされて、聖杯の守護者を集めたのだ。今も聖杯城で聖杯を守護している者たちは、この天使に招命されているのだ。
 中立という立場は難しいものだ。どちらか一方の側にいることの方が容易だ。しかし、一方を肯定し、他方を否定すれば、自分の立場は取りやすいが、世界に対立を引き起こすことになる。逆に、両方の立場を尊重することは難しいが、すべてを肯定する理想的な立場を取ることができる。神を尊びながら善をよそおわず、悪を見据えてその力を活かしながら悪におちいらない。中立の天使はそれを望んでいるのだろう。
 我々はカインの末裔だ。人は大なり小なり、罪を背負っているものだ。それが現実なのだ。」
 パルシファルは話を十分に理解できずに、自分の可能性を問いただした。
 「私は騎士ですから、楯と槍で立派に戦い、勝利すれば、それで地上的栄誉と天上的幸福が得られるのではないでしょうか。私は勇敢に戦い、たくさんの栄誉を得ましたから、聖杯の仲間に加えていただくことができるのではないでしょうか。」
 「慢心を持たないほうがよい。おごる者は久しからず。戦いに勝利するだけでは、地上的栄誉は得られるが、天上的幸福は得られないのだ。そなたは自制心を失いかねないから、気をつけるがよい。」
 頭ごなしに否定されたパルシファルは、よくわからずに黙っていた。

 トレフリツェントは続けた。
 「ムンサルヴェーシュ城には、アンフォルタスという王が住んでいる。聖杯王だ。
 アンフォルタスは優れた聖杯の騎士であり、聖杯のために尽くし、長い間聖杯を守護してきたが、ある時、罪を犯したのだ。
 聖杯の騎士には、自分の名誉と栄光のために戦ってはいけないという規則がある。無私の行為だけが求められており、当然、女性の愛を勝ち取るために戦うことも許されない。アンフォルタスはこの規則を破って罪を犯した。好きな女性のために、愛と名誉を勝ちとるために、戦いに行ったのだ。この戦いによって、アンフォルタスは傷を負った。それ以来、今も悲惨な病に苦しんでいる。
 数年前に、ある騎士が聖杯城にやってきたと聞いている。しかし、何と言うことか、その男は思慮の浅い若者で、王の苦しみを目の当たりにしながら、何ひとつ問いかけなかったのだ。それでその騎士は恥をさらし、名誉を得ることはなかった。
 私には、人様の行いをとがめだてする資格はないが、彼の罪は償わなければならないものだと思う。
 ところで、そなたはどちらからいらっしゃったのだ。素性を教えて下さらぬか。」
 パルシファルは、トレフリツェントに告白しなければならないと思った。アンフォルタスに問いかけをしなかった騎士は自分だ、と。しかし、すぐには言い出せなかった。自分の苦悩の種が突然話題に出され、恥ずかしかったのだ。
 「私の父は、今は亡きアンショウヴェの人、ガムレットです。」
 トレフリツェントは驚いて、たずね返した。
 「それでは、お前はパルシファルなのか。」
 「はい、さようです。パルシファルです。」
 「なんていうことか。お前は私の甥だ。妹の息子だ。会えて嬉しいぞ。」
 「ありがとうございます。しかし、私は罪人です。勇者イテール王を打ち殺し、武具をすべて奪いとりました。」
 「あぁ、お前はなんということをしたのだ。お前は多くの人を悲しませた。お前は命をもって償わなければならない。イテールは遠い親戚だ。血はつながっている。お前は血を分けた親族を殺したのだ。しかもイテールは、真の栄誉を神から授かっていた。彼は誉れ高い人物で、多くの女性が彼をしたっていた。身分の高いご婦人は、お前を恨んでいるだろう。神よ。この不幸を哀れみたまえ。
 それに、お前が母を残して去っていったがために、ヘルツェロイデは悲しみのあまり、すぐに亡くなったのだぞ。」
 パルシファルは衝撃を受けた。
 「まさか、母が、そんなことに…、なんていうことだ。うそではないのですか…。」
 「うそではない。本当だ。ヘルツェロイデは、お前が去った翌日に亡くなった。」
 パルシファルは、おえつをもらし、震えて泣いた。

 しばらくしてから、トレフリツェントは言った。
「お前が私の甥、パルシファルだとわかったからには、もっと詳しく話してあげよう。私には、ヘルツェロイデのほかに、もう二人の妹がいる。一人はショイジーアーネでキオート公と結婚したが、娘ジグーネを産んでから、すぐに亡くなった。ジグーネは、お前の母ヘルツェロイデに預けられ、育てられたのだ。
 もう一人は、レパンセ・デ・ショイエで、今でもアンフォルタスとともに、聖杯を守護している。
 聖杯の守護者は、聖杯の道にはずれた愛を望めば、悲惨な目に合い、苦痛を受けると言われている。私の兄アンフォルタスは、若いとき、一人の女性のために、激しく戦ったことがある。その女性の愛を勝ちとるためだったのだが、それは聖杯の道にはずれたものだった。
 その後、また別の時に、アンフォルタスは愛のために戦う喜びを求めて、旅に出た。そして、出会った敵から毒を塗った槍で突かれて、傷を負った。アンフォルタスは、槍で睾丸を突かれたのだ。体は病み、元の健康な体には戻らなかった。
 そこで私はひざまずいて神に祈りをささげ、兄をお救いくださるように、お願いした。そのかわりに、騎士の生活を捨てると誓った。肉、魚、ワイン、パンを口にしないと誓った。
 ところが、私が騎士道を捨てることにより、聖杯の秘儀の守護役がいなくなってしまうことに気がついた人々は、あわててアンフォルタスを聖杯の前に運んでいった。それが悲劇の始まりだった。アンフォルタスは、聖杯を見たことにより死ぬことができなくなってしまったのだ。この壮絶な病の苦痛が、永遠に続くことになってしまったのだ。
 王のために様々な薬が探しだされ、あらゆる薬が使われた。一角獣の心臓やペリカンの血も試されたが、効果はなかった。ペリカンの母親は、餌がなくなると、自分の胸をつついて、ふきでる血を雛の口に流しこむのだ。犠牲と施しの力に富むペリカンの血も、アンフォルタスには効かなかった。世界中のありとあらゆる薬草を服用したが、どれひとつとして効く薬はなかった。
 アンフォルタスの痛みは増すばかりで、凄惨な日々が続いた。もはや打つ手はなく、我々は聖杯の前にひざまずき、祈りつづけるしかなかった。
 そんなある日、聖杯に文字が現れた。そこには次のように書いてあった。

 その人が来る日を待て
 その人は聞く「王よ、どこが痛むのですか」と
 その時に傷は癒える
 その人に問いを促してはならない。
 その人の同情心から沸き起こるものでなければならない
 その人自身の真心から

 その問い、慫慂されれば、災いをひきおこす
 その問い,最初の晩に問われなければ、その力を失う
 その問い,時を誤らなければ,王の痛みは神の力により癒やされる
 その問いにより、アンフォルタスの傷は癒えしも
 その後、アンフォルタスは王たらざるべし

 この言葉を読んだ我々は、かすかな希望をもち、それからは痛みをやわらげる薬だけを使うようにした。
 その日以来、アンフォルタスは終わりのない痛みに悩まされ、来たるべき人が来る日を待ちつづけている。
   私はその時を待たずに、聖杯に仕えることを止めた。聖杯を見る特権、聖杯の守護者でいることの名誉を放棄し、隠遁の生活に入ったのだ。
 その後、あの騎士が現れたと聞いている。あの騎士は来るべきではなかった。何も問わずに、恥をかいただけだ。たった一言、『どこが痛むのですか』と聞けばよかっただけなのに。愚か者だ。」
 二人はすっかり意気消沈した。二人の間には沈黙が支配していたが、その沈黙は彼らの悲しみにふさわしかった。

 しばらくして、トレフリツェントは言った。
 「そろそろ食事の時間だ。お前に食用の草や根について教えよう。馬のえさも探さなければならない。さぁ、でかけよう。」
 トレフリツェントとパルシファルは食べ物を探しに出かけた。パルシファルは馬に食ませるまぐさを探し、トレフリツェントは食用の草や根を探した。二人は採取した草や根を洗い、生のまま食べた。それが隠者の食事だった。
 パルシファルは非常に楽しいときを過ごした。トレフリツェントに対して、とても強い愛情をいだいていたので、質素な食事がこの上ないほど、おいしく感じられた。これまでに食べたどんな豪勢な食べものも及ばなかった。パルシファルは幸せを感じ、まるで父をしたうかのような暖かい気持ちであふれていた。父不在の生い立ちがあったからかもしれない。二人は強い愛と親しみで、深く結ばれた。

 食事がすむと、パルシファルは意を決して切りだした。
 「伯父上、恥ずかしいことではありますが、勇気をだしてお話します。
 私はあの晩、聖杯を見て、病んだ王を見て、口をひらかずに黙っていました。ムンサルヴェーシュに行き、王を前にして、問いかけをしなかった馬鹿者は私です。」
 「それは本当か。」
 「本当です。」
 この言葉を聞いて、トレフリツェントはパルシファルの手を取って言った。
 「愛する甥よ。それが本当なら悲しむべきことだ。残念でならない。そなたには、聖杯王の血が流れている。パルシファルよ、だからこそ、そなたは聖杯城を見つけたのだ。」
 「そうです。血によって与えられた特権を、私は失いました。そして今、聖杯を見つけられずにいます。何年も実りのない旅をしています。」
 隠者は言った。
 「そうではない。そなたがここに来たことは、偶然ではない。自然の摂理が働いている。そなたを私に巡り会わせた摂理は、そなたを適切な時期に聖杯へ導くであろう。そなたの伯父、聖杯の主ヘの参上の時期を告げるであろう。その時が来たら、おそらくそなたは、長い探究の旅で、苦しい思いをしたことが無駄ではなかったと思うだろう。その日は、必ずや来るに違いない。」
 「すばらしいお言葉をありがとうございます。勇気が出ました。あきらめずに聖杯の探求を続けます。」
 「それがいいだろう。時が熟すのを待つがよい。ところで、槍を見ただろう。」
 「はい、見ました。」
 「あの槍は、穂先に燃えるような熱い力がある不思議な槍で、アンフォルタスの傷口にさしこむためにあるのだ。アンフォルタスの傷の痛みは、天体の運行に関連していて、惑星が地球に接近したときと、月が満月になったときに痛みがはげしくなる。そうなるとアンフォルタスは激しい悪寒におそわれ、冷気で体中が冷たくなってしまう。それで、熱い槍を傷口にさしこんで、冷気を吸いとり、体を温めるのだ。不思議な病だ。」
 「傷の痛みと天体が関係しているのですか。」
 「そうだ。人間の身体と天体との間には、非常に大きな関係がある。例えば、惑星と人間の臓器には密接な関係がある。太陽は心臓と関係がある。
 月は脳と関係している。他には、水星と肺、金星と腎臓、火星と胆嚢、木星と肝臓、土星と脾臓がそれぞれ関係している。」
 トレフリツェントの話は、あらゆる事象にわたり、つきなかった。

 こうしてパルシファルは、十四日間、トレフリツェントの庵にいた。パルシファルの出立が近づいた時、トレフリツェントは話しかけた。
 「もうひとつ、お前に話しておきたいことがある。
 お前は大きな罪を二つ背負っている。一つは親族のイテールを打ち殺したこと。もう一つは、母の死をまねいたことだ。その償いとして、犯した過ちを神の前で懺悔し、進んで苦難を引き受けるがいい。苦しいことや辛いことに対峙すれば、真の強さと慈しむ心がつちかわれる。そして、何よりも自分をよく見つめることだ。直面する出来事から逃げずに、自分の中で何が起きているのか、深く見つめなさい。そうすれば、やがて魂の平安を得られるだろう。」

 このとき、パルシファルの心に希望が生まれた。
 パルシファルはこの庵にいる間に、数多くのことを学んだ。人間の運命は、複雑であること、そして世界は果てしなく、より高い知恵が幾重にも重なって存在していることを知った。
 こうして、トレフリツェントのもとを去った時、パルシファルの意識は覚醒し、まるで別人のように、成長していた。










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